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埼大通り商店会は、日本一長いケヤキ並木がある商店会です。

大久保の大ケヤキにまつわる八百比丘尼とは・・

八百比丘尼伝説八百比丘尼伝説SP推定樹齢は300年以上と言われ、落雷などの被害で主幹は地上4mほどで失われ、幹の中央部は畳半畳~1畳ほどの広さで空洞化していても枯れる事無く、今現在も樹勢旺盛な大久保の大ケヤキ。
人魚の肉を食べて不老不死となった若狭の国(現在の福井県)の八百比丘尼(やおびくに)が植えたという伝説がある大ケヤキですが、その八百比丘尼(やおびくに)ついてご紹介。

八百比丘尼誕生までのお話

八百比丘尼伝説の地八百比丘尼伝説の地SP人魚の肉を食べて不老不死の体を得たという八百比丘尼(やおびくに)の民話は全国各地に存在してます。写真の空印寺(福井県小浜市)には、八百比丘尼が入定したという洞窟があるお寺です。
この八百比丘尼民話の始まりですが、654年。斉明天皇の御世、若狭の国の高橋長者という金持ちの家に、玉のように美しい娘が生まれました。娘が16歳の時、父親の高橋長者はある近所の男から夕食に招かれ、高橋長者と近所の者が男の家に出掛けてみると、それはそれは豪華な大豪邸。
その邸宅の主人である男に案内されて高橋長者と近所の者は屋敷を見物して回りました。そして調理場で不思議なものを目にします。調理場では二人の調理人がまな板の前で何やら相談しているのですが、まな板の上にあるモノは肩から下が魚、白い二本の腕とザンバラ髪の子供の頭を持つ、奇妙な生き物でした。
やがてご馳走が運ばれてきました。豪邸の主人は「竜宮のみやげですので、ぜひ食べていってください」と言いますが、招待された長者達は気味悪がって箸をつけません。立ち去ろうとする長者たちに、主人は奇妙な生き物の肉をお土産に渡しました。高橋長者が家に帰ると娘は高橋長者が持ち帰ったお土産の肉に興味津々。全部食べきってしまいました。それからというもの、娘は全く老いることがなくなってしまいました。ここまでが八百比丘尼誕生までのお話です。

八百比丘尼に関する文献をご紹介

人寿800歳に達したとされる長命の比丘尼。全国を旅したという伝説が各地に残っている。これら伝説の中心と目されているのは、北陸から能登地方である。福井県小浜市の空印寺の洞穴で入定したといわれる八百比丘尼は,長寿であるにもかかわらず、その容貌は、15、6歳くらいの若い女性のように見えたという。若さを保っているのは、禁断の肉である人魚の肉あるいは九穴の貝(あわび)を食べたためであると伝えられている。新潟県の佐渡島の伝説では、八百比丘尼は人魚の肉を食べ1000年の寿命を得たが、200歳の分を国主に譲り、自分は800歳になって若狭の小浜で死んだと伝えている。文献のうえでは、中世室町時代の記録『康富記』や『臥雲日件録』に、文安6(1449)年5月,八百比丘尼が若狭より上京したことを記している。八百比丘尼像の特徴は、手に椿の花を持っていることである。北陸から東北地方にかけての沿岸部には、椿がまとまって茂る聖地が点在している。椿は春の到来を告げる花とみなされ、椿の繁茂する森は信仰の対象となっていた。旅をする遍歴の巫女が椿の花を依代にして神霊を招いたものと想像されている。八百比丘尼の別称は白比丘尼という。白のシラは、再生するという古語であり、シラ比丘尼の長寿は、巫女の特つ霊力とかかわるものであろう。
「出典:朝日日本歴史人物事典」

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