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先人達の治水への想いから作られた治水用水門「千貫樋(せんがんぴ)」

千貫樋(せんがんぴ)・・普段、なかなか聞くとこの無い名前だと思います。
多くの車や人が往来する場所にあり、毎日そこを通る人ですら今、その存在を知る人も少ない桜区にある史跡の一つです。
しかしこの千貫樋(せんがんぴ)の歴史的な価値は高く、先人達が洪水で苦労を重ねた中、
治水への想いと川の氾濫との闘いの歴史が込められた史跡です。

千貫樋(せんがんぴ)の歴史
千貫樋(せんがんぴ)の歴史
千貫樋(せんがんぴ)誕生の歴史と背景

千貫樋(せんがんぴ)の歴史は古く、その始まりは江戸時代からになります。千貫樋とは鴨川が荒川に流れ込む地点に設けられ、洪水で荒川からの水が鴨川に逆流するのを防止する為に造られた治水を目的とした水門です。最初の水門は江戸時代に建設されましたが木造であった為に数年で腐朽し、洪水の度に水門が破壊されてしまうので完成後も頻繁に修復や改築が必要でした。その為、明治37年(1904)に鴨川落悪水路普通水利組合が埼玉県の補助や技術指導を得て現在の形へ建設が行われました。当初の改築工事計画では明治35年度に始まる予定でしたが、この年に大規模な洪水が発生し付近の堤防が損壊した為に改築工事は先送りとなってしまいました。この洪水によって損壊した堤防は修復されましたが修復後の堤防の大きさが以前よりも大きくなった為に改築工事の予定も変更され約9mの当初の設計から現在の約14.3mに変更されました。

この千貫樋(せんがんぴ)に関する文献によると、以前の水門改築工事が行われる前の姿は四角い水門を3個並べた姿で、改築工事後に現在のアーチ型の姿となった記載されています。今では撤去され見る事は出来ませんが、アーチ型の水路に装着されていた水門(ゲート)は木製の観音戸が装着され、これが荒川と鴨川の水位の変化に応じて自動的に開閉する仕組みになっていたとの事です。
また、平成30年に千貫樋(せんがんぴ)が平成30年度の土木学会選奨土木遺産に認定(9月28日)されました。

千貫樋の土木学会選奨土木遺産に関するさいたま市ホームページ

現在の千貫樋(せんがんぴ)と周辺の風景

現在の千貫樋は、1915年(昭和10年)に鴨川を南に延長して鴻沼川の一支流に付け替え鴻沼川に合流させた事により、合流点から下流はそのときまで鴻沼川のものでしたが、鴨川が本流にされたため鴨川と名を変え、付け替えで切り離された旧鴨川下流は今も小河川として残り、この千貫樋(せんがんぴ)も役目を終え千貫樋水郷公園の一部として残されています。